自己欲求を満たしたいだけというボランティアの無責任性。という問題ではない!

とあるスポーツ指導者から聞いたお話。
いつかの出来事。

<開始>
中学生の地域大会中のスポーツ少年団体でのコト。
Aというチームの選手たちが何やら探し物をしていた。
自分たちが持ってきたクーラーボックスが無いとのこと。

見回すと、Bというチームの選手が自分たちの控え場所に持っていきイスとして座っていた。
Aチームの選手が自分たちのモノと説明して取り戻しに行くと
Bチームの選手たちは謝ることなく黙って渋々渡したらしい。
AチームのコーチがBチームのコーチに出来事を話に行ったところ、
Bチームのコーチは「私がいない時に子供が勝手にやったことですから」と言ったそうだ。

Aチームのコーチは言葉を失ったそうな。
選手を見れば指導者が分かるとはコレまさに。と思ったと言っている。

そのBチームのコーチはボランティアコーチだと知り、さらに納得したらしい…。
<終了>

上記だけを読むと疑問がいくつか浮かぶかと思うが、

ボランティアコーチは無責任なのか?○か×か?
という単純な話ではない。当然だが、ボランティアという行為をしている人をひとくくりにも出来ない。
ボランティアを実践する方々の中には
心から献身・他者を想うという行動をされている人はいると思し、実際にそのような心持ちだと思われる人を知ってもいる。

各自、上記のことから色々と考える題材にして思考の体操をしてもらえたらと思う。

ここで考えてみたいトコロとしては
需要(選手)と供給(コーチ・指導者)について。

例えば、

競技力と人間力というモノをまったくの別物と考えて、
Bチームでは「競技力」のみをコーチング・指導するという方針だとする。

とするとBチームに加入している・これから加入する選手やその保護者は、
Bチームがどういう方針を掲げているのか知ろうとするべきだ。
そして、選手自身がそれを納得しているのか
小学生では判断が難しいと考えているのであれば、
保護者は自身が求めているモノと合致しているのか吟味し選択するべきだろう。
世に出回っているモノには多様性があり、選択する能力が必要になっている。

安いから・近いから・友達がいるから

これらが選択の基準になるのは世の常なのだろうが、
子供の教育という観点からすると、それだけではイカンでしょ。


余談だが、
私がコーチとして所属しているスイミングチームは、
競技力と人間力の向上を掲げている。

競技力の向上を目指す厳しい過程から
人間力を養おう向上していこう。

という方針だ。

競技力と人間力を切り離す必要はない。
相互浸透させて互いの向上を目指せばよい。
その過程は時間かかり、難しいと思うが、やりがいあるでしょ。

実際に、
在籍が10年以上の選手・卒業生の諸兄を見れば分かる。





この手の記事を書くときは
以前に比べ、言葉を選ぶようになっている気がする。
稚拙なブログだが毎日見てくれている人が少なからずいるからね。
毎日、100名には満たないが小学生からご高齢の方まで。
このブログもいわばボランティアだが、私にとっては価値を与えてもらっている。
金銭的な影響は無いようす。むしろ、そこに関しては
マイナスの影響すらあるらしい。
YY鍼灸治療院での施術を受けてみたいと思った人が
このブログを読み、敬遠するという流れで…。

まあしかし、ブログを続けているコトには
それなりの価値を感じているからでありんす。
なんらかに共鳴してくれた人との交流であったり
自己の脳みそ整理だったりと。
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プロフィール

YY

Author:YY
新潟から世界で戦う身体と思考をサポートしています。


〇スポーツ競技コーチ
〇フィジカルトレーナー
〇鍼灸師(医療国家資格)
〇登録販売者(医療国家資格)

担当経歴
・リオオリンピック代表選手
・プロゴルファー
・競輪選手
・プロサッカー選手
・競泳日本代表選手
・オープンウォーター日本代表選手
・プロ格闘家

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